シャカ力「ロック」を観た

2023年7月16日14時の回
蛸蔵

これから、観終わった感覚を残しておきたいという作品については
この場で観劇の記録を残していきたいなと思っております。
よろしければお付き合いください。


終演して会場を出ると出演者の皆さんがお見送りに立っていらっしゃってて
行正さんがちょうどいらしたので
観劇後の感想をお伝えしようと思って出た言葉が

「今回、わかりやすかったですね」

行正さんは苦笑いしながら「そうですか」と答えた。
あまり長く立ち話をするつもりもなかったのでそのまま立ち去ったけど。

行正さん、あれは決して悪い意味ではなかったのですよ。
本当は苦笑いする必要はなかったんだけど、そういう表情をさせてしまったねえ。

と、いうのも。
「わかりやすい」という言葉はあまり良い意味では使われないことが多く。

わかりやすい=中身がない
わかりやすい=つまらない
わかりやすい=浅い
などとね。

「この作品わかりやすい! 見切った!」みたいな
ある種のマウントを取っちゃうように使われることもありますよね。

実際、わかりやすすぎるのは考えもので。
丁寧に説明されてしまうと「わかってるよ!そんなの!」という気持ちになってしまう。
馬鹿にされてる気がしてくる。
もし、本当にわかりやすすぎて簡単に理解できるような内容だと
観終わって「はあ?それで?」と言いたくなってしまう。

とはいえですよ。
ぼくが作品制作に関わる中で、わかりやすさが重要だと感じる場合も多いわけです。
何が何だかわからないものが面白いということもありますけど。
それでも、何かしらは伝わる必要があるじゃないですか。

今回のシャカ力作品「ロック」は
作品の最中で、なるほどそういう話か!ということが理解できる瞬間がありました。
それを境にこれまで見てきたものの見え方が変わるように作られておりました。

でも、それは決して、わかりやすくて見切った!ということではありません。
逆に、理解できたからこそ、より作品に深みが感じられるようになった。

これって、何かに似てるなあ。
この感覚、どっかに似たようなのあった。

途中までナンセンスなファンタジーを見ているつもりでいたら
突然それがぼくらの現実世界とリンクして生々しい現実を浮かび上がらせる。
それって、野田秀樹作品もそうじゃん?と、ぼくは客席で感じていたのでした。

観客は、これまで見てきたこの物語が
現実の何かの見立てであることに、ある瞬間に気がつくのです。
野田さんは、結構ズバリとそのモチーフを提示してくる。
原爆、シベリア抑留、日航機墜落、731部隊、などなど
ファンタジーではなく、現実のぼくらの世界で実際に起きた事件の数々。

高校生の頃、野田さんは最初から最後までファンタジーで乗り切る人だと思っておりました。
実際、野田さんがエッセイで書いていたし。
「自分は坂口安吾の生まれ変わりである」とかなんとか。
安吾は、自分は戯作者だというておりました。
戯作って、多分おとぎ話とか、大袈裟に作った話とか
エンターテイメントとしてのフィクションのことだとぼくは思ってるんですが
遊眠社時代の野田さんは、見ていても何の話だかよくわからない、けど楽しい
というような、戯作感あふれる創作をしていたと思うんです。

それが突然、野田さんの作品の傾向が変わったのでした。
記憶をたどると、最初にそれを感じたのはパンドラの鐘だったように思います。
野田さんと蜷川さんの演出バトルとして企画された作品でした。
ぼくは先に蜷川さんの方を見たのでした。
もう、これは、はっきりと、誤解のしようがないくらいに、原爆の話だったのでした。
野田作品のモチーフとして「誤解のしようがない歴史的事実」を取り上げていることに驚いて
それって戯作じゃないじゃん!って憤りまで感じてしまって
ぼくは、その時は受け入れることができなかった。

思えばそれは、ぼくが「わかりやすさ」について考える
一つのきっかけになったかもしれません。

今現在上演されている野田作品でも
そういう「誤解のしようがない」現実的なモチーフがしばしば取り上げられます。
今の僕は、受け入れられないなんてことはなく、とても楽しく拝見しております。
特に「逆鱗」では、その見立てが
史実として残っている事件をより明確に考えさせてくれました。

長い年月を経て、ようやくぼくも
野田さんのやりたいことを理解できるようになったのかもしれないですね。

今回の「ロック」は、そういった近年の野田さんの
「わかりやすさ」に通じるものがあったのでした。
最初から暗示されているアイテムが、途中からはっきりと意味を持ちはじめました。
なるほどね!そういうことか!ふむふむ!
そうして、物語が暗示してきたモチーフを明確に理解したからこそ
ラストで踏ん張る父の姿に感動するんだよね。
観客の理解が、不条理だったはずの世界にリアリティを与えるんだよね。

あーなるほど。
観終わって感じているこの感覚。
これって野田さん観た後の感覚にすごく近いや。

いやあ、でもね、行正さんのすごいところは
もしかしたら行正さんは野田さんを見たことがない可能性があるということなんですよね。
行正さんは自然とその境地に至った可能性があるんです。
本当のところは知らんけど。

前に行正さんが、別役実と比較されてたことがあって。
あの大御所、別役実を引き合いに出されるなんてすっごいことなんだけど。
それを聞いてる行正さんはぽかーんとしてたんだよね。
もしかしたら、行正さんは、別役さんをよくわかっていないんじゃないかな。
これも本当のところは知らんけど。

僕に言わせれば、別役さんを知らない人がねえ
なんで役名に男1とか女1とかつけるんだよ!とか思うけど
行正さんにとっては、それが便利だからそうしているだけであって
行正さんの作品に必要だったから、ということ以上でも以下でもないのだろうね。

長々と野田さんの話をしてきましたが
野田さんがどんな芝居をやっているのか
行正さんの作品とは全く関係がないっちゃ、ないですね。
関係がない世界線の中で、偶然に行正さんが野田さんの境地に至ったとするならば
これはすごいことだぞと、ぼくは密かに思ったのでした。

それがあの一言
「今回、わかりやすかったですね」に込められていたわけであって
「ゆっきーさん、今回のすごかったよ
現実のモチーフがはっきり解釈できるのにこの感じで着地するの、マジすげえよ」
という意味で
そういった感動を伝えようとしているのでありますから
全然苦笑いする必要はなかったのだと、その部分を強くお伝えしておきたいのです。

2023年7月25日(火)松島記す


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