「プールのある家」上演に際して松島寛和からごあいさつ

これは貧困にあえぐ人々の物語▼貧困になるとその日暮らしに精一杯になります。人生設計をじっくりと立てて計画的に生活をするなんてことはできません。そんな余裕がありません▼それにひきかえ、調子のいい時には余裕があります。余裕が人に余計なことを考えさせます。余裕があるから、つい変な買い物をしちゃうとか。また、余裕があるからこそおかしな話に惑わされて、挙句に騙されたりね。だから案外、貧困の暮らしが自然で、余裕のある豊かな暮らしがいびつ…なのかもしれません▼転落した人は必死。必死じゃないと生きていけないから。必死な人間は常に真剣。嘘をつく余裕がなくて本音になる。そうなると人間ってありのままの姿になる。あらゆるネガテイブな感情もありのまま出てくる。後悔、嫉妬、怒り、落胆……。そしてネガティブな感情の底で、小さな希望が見つかったりするのです。その希望は小さいけれど、とても強くて、何にも負けない光で我々の人生を照らしてくれる。だからどん底から立ち直った人間は強いのだ、と僕は思います▼なーんてね。全部想像だもん、そんなの、言っちゃアレだけど。本当にそんな希望なんてあんのかよ。ぼくが勝手に「ある」と思い込んでいるだけじゃないの?……いやー、あると思うよ。知らんけど。だって、そう思わないと、生きるのがつらすぎませんか?▼「人間おちめになったら、とことんまでおちるほうがいい、中途半端がいちばん悪いのだ」とは原作の中で語られる印象的なセリフのひとつです。ぼくはそこまでおちたことは……ないんじゃないかな……多分。これを読んでいる皆さんもないですよね。……ありますか? もし「ある」って方がいらしたら、あなたがおちきった時に見た景色ってどんなでしたか? 今もそこにいますか? そこで希望は見つかりましたか?▼とことんまでおちた先で見つかる希望って、それは一体どういうものなんでしょうね。ぜひ劇場で、みなさんと一緒に感じたいものです。もしかしたら思惑と違って、「あ、おれ、実はおちてたんだ…気がつかなかっただけで」なんてアブナイことに気がつくかもしれない、の、ですが。このお芝居は、希望って本当にあるのかを検証する、演劇による実験なのです。そしてぼくは、その希望を信じているのです。


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